2019/03/16

心の中での平等主義と,外部の差別者が対峙するとき



私は,外国生活が長く,少し日本語の発音が違っているせいか,「自分は外人である」といっても疑う人はいない。
外見も少し違っているようである。自分ではそうも感じないのだが。
ようは,考え方が日本の型にはまっていないというだけで,遠ざけようとしたり,差別の目を向けてくる人がいるのだ。

私は中国人の中でも,仕舞にはイギリス人の間でも,(欧米の場合は移民系として)仲間扱いされることが多い。

日本国内では,差別者が私を「在日」としてカテゴライズするくらいしか出来ない了見の狭い人間が多く,少しでも自分と違う意見であるという事だけで,「お前,ニンホンジンじゃないだろう」と絡まれることがある。

これには頭にくる。
差別主義者に都合の悪いことを主張しただけで,「日本人じゃない認定」されてしまうのである。攻撃してくるのである。身体的危害を加えられて警察に駆け込んだことさえある。しかし私は私の思う事を引っ込めたりしない性格なのだ。

まったく,単純すぎるのは彼らの頭の中である。”脳内・田舎者”というか,『井の中の暴君・大海を知らず』である。

私の答えはこうである。「もし仮に私が外人だとして,それで何が問題なのか?」

そこで相手は逆上するのである。

まさに基地外である。


私の場合は,家族,兄弟にさえ「お前は日本人じゃない!」と言われ続けてきた。

日本では,自分の頭で考える人間はガイジンなのである。

自分らが暗記したことと違う事を言うと,キレるのである。

そのため私は大変な苦難を生きる羽目になっている。

日本人,変わろうよ。いや,すべて忘れて,自分の頭で考えろよ。


私と親友になる人は少ないが,少ない友達とは,意見を戦わせる。
議論が出来る,接点を見つけられる,互いの違いを認識し,互いを尊敬する。

それが本当の人と人の関わりだと思うのだが。


2019/03/06

金を介した人間関係しか築けなくなってしまった人々の病

それはすでに人間関係と呼べるものかどうか?...危うい境界線上にある。


女性とのデートを買う男たちと男性を買う女たち

自分の時間を,誰かの友人,恋人として売る人々は,相手に対して,例外を除けば無感情に近い。金のためにやっているだけで,金のためにやさしくし,金のために何も言わず,さらには客が作ったシナリオを演じる役者としての「ギャラ」を対価として貰う。

売っている側には,見ず知らずの人間を相手に,現実で役者となる。楽しんでいる者もいるだろう。暇つぶし。アルバイト。役者の気分。相手とのかかわりが実際にはないという気楽さ。経済的理由でいやいややっている人は「働いているだけ」であり,演じながらも内心客を軽蔑したり憎んだり,イラついている。自分で選んでいるわけでもない役を演じる中身の希薄な人々...自分自身のイラつきの意味さえ知らないのだ。


 
...話もをどすが,
買っている側には,普通に人間関係が築けなくなったという病が隠れている。
「自分が望む相手の対応」そのものは決して現実世界には存在しない。
「こうあるべき対応」も,他の誰かにはあっても,自分には向けられることがない。
それを自分の外見などのせいにして,外見で態度を変えていると思い込み,他人を憎む。
相手側が思うあるべき対応さえ,自分の横暴な態度が変化させてしまっている事に気付くこともない。

それは,『妄想から出た妄想』であり,やはり病と言えるだろう。
買う側は,他人の時間を買って自分の理想的な対応を享受している間は恐れから一時解放され,自分の思い通りに事が進み,自分の要望のみに執着し,そこに間違いがあると激怒する。 

それを脳が。『現実では当然のことである。』などと思い込めば,そこに,小さな暴君が生まれる。
金がなくなると無視されるので,怒り狂う事になる。

こんなことにはならないように,金で買っている他人の時間は,借りものであり,自分の時間だと勘違いしているけれども,実際はやはりその役者のジカンであり,自分のモノというのは幻影であることを肝に銘じるべきなのだ。

狂気に陥らないためには...

2019/03/05

権利と特権





人権なんてない。
初めからあるように見えて、簡単に侵される事がないように見えるだけだ。

色んな権利が『戦って勝ち取った』と言われる。そのように、戦って奪うものだ。



しかし特権は違う。

特権は富裕層の上層が持つものだ。

彼らは他人の権利を奪っても、簡単には罰せられない。

金、権力、権力層との繋がりで罪を揉み消す。




日本人はぬるま湯につかっていた。

だから権利があると思い込んでいた。

裸の王様と同じで、今、それが引き剥がされてきているのは巷を観察すればわかることだ。

日本の一般国民には、実は人権などない。

少なくとも、元からあるものではなかったのだ。

勘違いしていただけ。

それが支配側の人心操作術の重要事項の一つ。

問題ないと思わせておけば、こちらの言う事を鵜呑みにし続けてくれる。

人間は、自分が体験してからでないと、知ることができないからだ。

殺人も戦争も洪水も、日本ではよく起こる大地震さえも。

すべては映画の中の出来事と同じ。

体験したことのない人々の頭の中では...


しかし想像力がなさすぎる。少しだけ自分の頭で考えればわかる事でも、自分の周りで見た事のないことを否定する人々。世の中が自分の日常だけしかない人々。

そういう人々にとってはすべてがフェイクニュースだ。

全てのとんでもない出来事は、全てウソだと無視してしまう。

全てのトンデモナイ事は、平和な村人にとっては007なのである。

現実で似たようなことを見聞きすれば、メジャーなニュースなら半信半疑で喜ぶが,

隣人が言えば、基地外のウソつきなのである。

それが #ヴィレッジピーポーの生態。








もしアメリカ合衆国が消えてなくなってしまったとしたら・・・

誰もがその存在感を無視できないイダイなる新興国、USA。 色んな意味でスゴイ国なわけですが、このイダイで広大な国が、突然消滅してしまったら、世界は一体どうなってしまうのか?? 多大な影響がある事は言うまでもないだろうが、その中で最も問題となることは何だろうか?? 思考...